プロフィール

PROFILE

代表プロフィール

  • 氏名:藤野健司
  • 生年月日:1970年3月6日
  • 出身地:神戸
  • 高校卒業までは神戸在住。大学は愛知県内の学校を卒業。
    大学卒業後は愛知県一宮市内の信用金庫を3年勤務したのち、名古屋の会計事務所で3年、岐阜の会計事務所で約17年の合計20年間の実務経験を経て、平成30年8月1日に独立開業。

代表略歴

  • 昭和45年~平成元年:
    高校卒業迄は神戸市在住
  • 平成5年~平成8年:
    信用金庫で3年間勤務
  • 平成8年~平成28年:
    愛知・岐阜の会計事務所にて実務経験を積む
  • 平成30年8月1日:
    独立開業

昭和45年~平成元年:高校卒業迄は神戸市在住

あまり勉強が出来ずに好きでもなく、流れるままに過ごしていた期間でした。

このまま地元の神戸で育っていたら、親に甘えた最低な人生を送っていたような気がします。

平成元年~平成5年:親元を離れて下宿しながら大学へ

資金援助は大学の学費のみであったため、かなり必至でアルバイトをしながら学業に励みました。

色々なアルバイト先で人のやさしさに触れることができ、感謝に堪えない時期でした。

資金援助・食料援助・精神ケア等々。身近に父・母・兄弟がいてくださる感覚になりました。

平成5年~平成8年:信用金庫で3年間勤務

銀行に入庫した際は、大変厳しい支店長の下で働くことになりました。

周りの人に助けられ、独立後のご縁に繋がる貴重な経験をする

非常に厳しい支店長で正直お顔を見るだけでも震えが止まらないくらいでしたが、一人住まいということでご配慮頂いていたのか、たまに食事をご馳走して頂いてました。非常に助かりました。

しかし仕事はと言うと入庫ほやほやの新米ですからノルマを半人前でも達成することが出来ずに苦しいことばかりでした。

ただ、周りの上司・先輩方に未達分のノルマの数字をかなり面倒見ていただき、もの凄く助けられました。

この時の経験は今でも覚えており、後の自分の人生においても年下の人間に対しては暖かく救ってやるものだと強く勝手に思い込みました。

あと、縁というのは不思議なものでして、この当時の支店長に税理士開業後お客様のご紹介を頂き、独立開業後の事務所も自分が初めて銀行で外回りをした地区というのに不思議な縁を感じました。

税理士の仕事への憧れと決心

入庫後数ヶ月で外回り経験をさせて頂くことになりましたが、担当させて頂いた地区での税理士先生のお仕事に憧れを抱き税理士になりたいと決心。

税理士先生方が財務の数字を分析し、融資の必要性・返済期間の妥当性等々のアドバイスをされている姿を拝見しているうちに、自分も中小企業経営者の方々のお役に立ちたいと強く思うようになりました。

ただ、この時点では簿記の知識はゼロ、勿論税務知識もなく高校・大学を通しても会計の勉強をしていなかったので大多数の方々から猛反対を受けました。無謀と!

ありがたいことに性格が良くなかったので、人の主観で自分の人生を決められることには抵抗を覚えまして会計業界へ飛び込みました。

30代中頃には税理士資格を取得するつもりでしたが、結果は大幅に遅れました。自分の考えの甘さが原因です。

平成8年~平成28年:愛知・岐阜の会計事務所にて実務経験を積む

飛び込んだ会計の世界と挫折により繰り返した転職

会計業界へ飛び込んだ最初の3年くらいは全く税理士試験の勉強をする余裕はありませんでした。

簿記・税務知識ゼロですから当然でした。今を思えば雇って頂いた先生方に申し訳なく思っています。

やはり、知識ゼロでしたので職場に居ずらくなり1年ごとに転職してました。ここで逃げずに踏ん張って転職せずに勉強していればもう少し早く取得していた気がします。

銀行退職後の3年~5年の期間は、税理士になれない気がして結構投げやりに過ごしていた期間でした。

人生の分岐点となる結婚ということを考えると、このままの状態では良くないと考えることが多く、「転職」や「資格取得を諦める」ということを非常に多く考えてました。

現実逃避の苦い経験から得られた「結果」と「原因」に対するブレない考え方

このような流れのまま結婚をしました。ただ、明確な目標がブレており、何をやっても上手くいかずに「人のせい」や「環境のせい」にして現実逃避してました。

こういった考えは暫く続いていたと思いますが、こう言った悪い「考え」の経験を踏まえて今現在は活かせてると思います。

今の私の考えの根本である「自分に帰ってきた結果は、自分に原因がある」という考えになれたのも、こういった苦い経験があったからこそと思えます。

悪い結果が起こり、その原因を他人のせいにしてしまうと絶対に物事の解決にはなりません。

「帳簿指導」「調査対応」から「リスクマネジメント指導」「人間力の勉強」まで学べた15年

その後は税理士法人に約15年間勤めさせて頂きました。

ここはスタッフの人数も多く、規模的にも大きいお客様が多くありました。

最終的に独立するための土台はここでの経験があったからこそと感じてます。

「帳簿指導」、「調査対応」、「リスクマネジメント指導」、「人間力の勉強」等々、恐らく他の会計事務所ではなかなか学べない有難い環境であったと思います。

この職場で「読書」を習慣づけして頂けたのも感謝に堪えません。

ただ在職当時はこのような有難い環境に気付かず、正直「不平・不満」を言ってました。

ですから資格取得も出来ていなかった結果になっていた気がします。

やはり自分の口から「愚痴」「不平・不満」「他人の悪口」を言ってる間は大した人間にはなれません。

税理士資格を取れないまま18年。浴びせられる悲観論に真っ向勝負

税理士法人在職中も、自分の考え方の甘さにより資格を取ることが出来ずに悩んでいました。

ただ、色々と自己啓発的な書物を読んでいるうちにようやく敢然とした自分の目標を立てることが出来、邁進する決意をしました。

この「読書」の習慣を作って頂いた事務所のおかげと改めて思っております。

銀行退職時に「税理士になりたい」と決意してから18年ほど経過しており、年齢も46歳でした。

ここでもやはり周りからは、「年齢的に無理」「取れる人は既に取っている」「無謀!」と散々言われました。

銀行退職時に会計業界へ飛び込んだ時と同じように悲観論ばかり浴びせられました。

税理士法人を退職。試験合格のために捧げた1年と周囲への感謝

この時は心の底から「見返してやる」と本気で思い、妻には必ず来年の試験で合格するから退職して勉強させて欲しいとお願いしました。

納得はしていなかったと思いますが、税理士法人を退職し来年の勉強に備えました。

ただ勉強に専念できるための環境を作って頂いた家族及び家族以外の方々には本当に感謝してますし、ご恩返しをしていきたく思っています。

退職時での現状は、税理士法人時代に夜学の大学院へ通わせていただいた事もあり、残す科目は1科目でした。

ただ、年齢的な悲観論を言ってきた人たちを絶対に見返したかったので、必至で勉強しました。

妻には家庭的な事情もあるから1年しか挑戦しない旨も伝えてました。チャンスが1回しかないと思うと、人はこんなに勉強できるものかと自分ながらに驚きました。

そして税理士法人退職後の翌年の試験で何とか合格出来ました。ただ、試験の手応えはなく自己採点でも厳しい現実が浮き彫りでしたので、本当に驚きました。

平成30年8月1日:独立開業

銀行退職後、ちょうど20年経ちました。お恥ずかしい話です。

ただ、このような自分の苦い経験を踏まえて、これから独立開業される方々に少しでもお伝えしたいことがあります。

それは「考え方」の大切さです。

よくネガティブ思考とポジティブ思考という言葉を聞くと思います。

私の考えでは、「愚痴」「不平・不満」「悪口」を繰り返している方は絶対に気持ちがネガティブな方向へと向かっており、何をやっても上手くいかないと思います。

自分がそうでした。

そのようなネガティブな言葉を発していると行動も比例して現れるので、プラスの結果へと導かれないと考えます。

かたや、「前向きな発言」「感謝」「思いやり」を心掛けるとポジティブな方向へと向かい、自分の目標というものを引き寄せるのだと思います。

このような「考え方」というものをもっと私自身も探求し、皆様の経営におかれましてお役に立つ情報を発信出来ればと考えてます。

勿論、本業である税務・会計のご支援も行いますのでご安心ください。